2020/12/21 21:45
ウズベキスタン人なぜ親日なのか?を伝える上で、ナヴォイ劇場の存在があります。
太平洋戦争末期に、外地にいた多数の日本軍兵士が(推定65万人)強制連行された「シベリア抑留」、その中の2万~3万人がウズベキスタンに連行され、強制労働させられました。
その時、ソ連から2年で中央アジア最大のオペラ劇場(ナヴォイ劇場)を建てるという労働指示があり、抑留者の中から約500人がナヴォイ劇場建設に充てられました。

過酷な労働条件でも当時の日本兵たちの中には技術者が多数いて、自分たちのプライドと誇りを持って手を抜かず、そしてスケジュール通りにナヴォイ劇場を建設したのです。
そして月日は流れ、1966年にこの地方一体を崩壊させた未曾有の大地震が発生しました。多くの建物が崩壊する中、抑留者たちが建てた「ナヴォイ劇場」だけは無傷状態で避難場所として多くのウズベキスタン人の命を救いました。

建築物としても細かい装飾まで手を抜かずに日本人の手先の器用さを駆使して作られており、現在でも観光スポットとして活用されています。
強制労働・極寒の酷い環境のなか不平・不満が多々あっただろうと想像しますが、その行動は現地の人々に「日本人のように仕事をする」という形容詞として残っています。
首都タシュケントにある日本人墓地に私も手を合わせに行きました。彼らが残してくれた親日国家を私も微力ながら、手助けします。
by 鶴田一孝